6/3(月曜日) 本日の成果 57日目
- 第1作 プロット0コマ分進めた
- 第1作 シナリオ0文字(0kb)進んだ
- 何故だろう気になっている
アルゴリズムとデータ構造(復習)
- フォーマットとして記述する際、何も勉強していなくても意識にはのぼるので学習したい内容をセッティングしておけば学習効果高まる。ちょっと何を言っているのか分からない
Deep Learning
- 物体検出の探索的データ分析について少々
- 探索的データ分析とはデータ分析の対象となるデータについて特徴量を要約する事である。IBMの記事にそう書いてあったから必ず正しい。知らんけど
- DETRでは従来の最適化手法とは異なる方法を使うらしい。中身は原著論文を読んでいないので分かりません。取り敢えずDETRのモデルを構築して試しに動かしてみようかな
数学
- 数学とは、最近は生物学を勉強しているので生物学というセクションを設けたら学習した内容をアウトプットするようになるのではという安易な考え方
生物学
- DNAの複製について完全に理解したが、明日には忘れているだろうという事実に気付きニヒル。今思い出しているので忘れても問題なし
- DNAは4つの塩基により構成されている。それらを最小単位として遺伝情報をコードしている。DNAの1本鎖には方向性を定めるために5'とか3'とかいう端が与えられている。今回は便宜上左に5'を右に3'を配置して考える。まずDNAの2本鎖を1本鎖にばらすためにDNAヘリカーゼという酵素が働きチャックを開く要領で1本鎖に、その後にDNAプライマーゼがその一本鎖のある部分に作用しDNAの塩基に対して相補的にRNAの塩基を並べていく。これをプライマーと呼ぶらしい。これを足掛かりにしてDNAの塩基が並べられていく。続くDNAポリメラーゼが先程生成されたプライマーを認識しDNAの塩基を並べていく。先述の通り左から5で右に3が端としてある。並べられていくDNA塩基たちは逆向きであるから右が5で左が3に対応している。そしてDNAポリメラーゼは5→3の方向にしか進めない。DNAポリメラーゼと同じ方向に進んでいくDNA一本鎖をリーディング鎖と呼ぶらしい。先程、DNAヘリカーゼで2本鎖を1つずつにばらした訳だが、もう一方のDNA1本鎖に着目する。こちらに関しては右が5で左が3'に対応しているので複製する方の一本鎖は右が3で左が5となりDNAポリメラーゼの5から3へしか進行出来ないという性質とは相いれず上手く複製する事が出来ない。その為、岡崎フラグメントという断片を随時形成しつつ複製を行う事になる。今現状、右から左へ移動しようとすると3→5へ進行する羽目になるので、従来の進行方向である左にDNAプライマーゼでプライマーを作っておいてそこから右から左ではなく、左から右へ移動する事で5から3への規則を破らずに進行しDNAの複製を行う事ができるという訳ですね。中々上手くできているなと。後、何故このような機構が自然と形成されて我々の様な人間が誕生したのか全くもって分からない。
- 割に生物学に対するモチベーションは依然として高い
- 分子生物学を独習していく
Unity
- 確かに今日はUnityについて何も勉強していないのだけれどUnityというセクションがあるだけで前回に何をやっていたか分かるし、別に更新しなくても前の内容を敢えて残せば復習として機能するから
- テキストアニメーションについて
- 基本的なデータ構造はゲーム制作で活きますからね勉強した結果が活きると嬉しいよね
- 時間を費やさないと色々凝らす事が出来ないので普通に貴族の嗜みだと思っている。
- 9日か~流石に、学校通いながらシナリオ書いてUnityの勉強は難しいのか。講義切りてー
- 多分だがUnityに時間は費やせそうにない。シナリオも執筆できてないよね。そもそもこの振り返りもサボり始めているのでまずいよね。感想が貧弱
読書
- 桜庭作品を読んでいます。
- 現実逃避に明け暮れて
- 生活リズムの抜本的な改革をマニュフェストに掲げて出馬したものの一票も集まらずに落馬したあの日の苦虫をかみつぶした想いを胸に抱いてここまで歩いてきたニキ
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- 久しぶりに大学に行ったら単位を落とす事が確定してしまいどうせなら留年してモラトリアムをもう一年間延長して、そのまま永遠を過ごすほうがましなのではないかと思い少しつらい思いをしながら講義室を後に去った。教育機関としての大学を私は果たして上手く利用できているのだろうか。以前も申し上げたとおり私は大学に通う事自体に価値を見出しているのではなくおまけで付属する自由な時間に対して重きを置いている。省エネ志向のオレキ何某さん的な考えで最近は過ごしている。自己正当化甚だしい結構親に対してどう落とし前を付ければいいのか全くもってして分からない。最近は親という存在が謎に包まれている。何故、親はあそこまで成人君主的な態度で私という人間に接する事が出来るのか?私が幸せに生きていればそれだけで何も言えないだなんて利他主義を信奉する事が出来るのか甚だ疑問である。親を経験できるのは親だけである。
- 最近は親にどう恩を返すかを軸に将来を考えている。以前に韓国で少子化傾向が問題視され出生率の低さについて現地の人にインタビューしている様子をニュースか何かで目にした。確か、自分のような思いをさせたくないから子供は作らずに二人で幸せに暮らすと、確か、将来の労働力が機械化により代替され、老後の心配が社会保障制度により解消された事により子供を持つ必要性が無くなり子育てがある種のエンターテイメント化したという穿った見方があった。最近は自分みたいな子供を育てるのは到底出来ないが故に子供を欲しいと思えないし、それ故に自分という面倒くさい人間を育ててくれた親には感謝以外の言葉が見つからないという話である。共感性かエゴイズムかという境目の話をしたらきりがなさそうな議論が展開されそう。自分が幼少期に受験戦争で浴びた洗礼を子供に経験させたくないというが結局のところ人間が資本である以上は社会的なインフラとして人間は必要になるのだから社会的な倫理観を考慮すれば子供を授かって教育し社会に還元する事は一つの責務として考えられるべきなんだろう。
設定資料集を分厚くする仕事をしています!
過去の自分のバトンを確りと受け取れるように
今日も一日お疲れさまです。明日も頑張るデス