『青春ブタ野郎はおでかけシスターの夢を見ない』を観てきた話

上映日(6/23)に授業をぶっちして映画館で足を運んだ。勿論お目当ては私の青春の一ページを彩った「青ブタシリーズ」映画2作目の『青春ブタ野郎はおでかけシスターの夢を見ない』である。このブログを執筆している現在は丁度映画を視聴し終えたてほやほやの状態であります。

感想

「楓」と「かえで」の葛藤。両者の孤独感が作中では犇々と描かれていた。同級生にいじめられ精神的な自己を乖離することで身体を守る防衛機制の結果、二人の楓とかえでに分裂した。かえでは見知らぬ世界に産み落とされた孤独の中で、自分の兄だという咲太に精神的に救われる 。彼の精神的な支援のもとでかえでは本来の自分であった「楓」と寄り添いあう決意をする。過去のトラウマとの格闘がアニメでは描かれ、最終的には解離性障害からの回復と共に、楓が世界に取り戻される。その結果、かえでは書き残した一冊のノートともに皆の記憶の中に眠る。 振り返ってみると、かえでと楓を取り巻く展開は葛藤にまみれているように思う。解離性障害に悩まされる前の楓は一般的な中学生同様、塩らしい対応のもとで兄とも淡白なコミュニケーションを取っていた。しかし、かえでは愛らしいキャラクターとして作中で描写され、咲太や麻衣など ともお家が大好きな少女の愛嬌で親しまれていた。それ故に、かえでを失った咲太は失意に苛まれ、楓の帰還を素直に喜ぶべきかという葛藤に苛まれる事になる。この葛藤との折り合いも劇中ではしっかりと描かれていた。一点劇中では描かれなかったが、個人的に描いてほしかった描写は かえでの残したノートを楓が読むシーンである。記憶を取り戻した楓は、自分のいない空白の期間をかえでの残した一冊のノートと共に振り返る事となる。そこには、お家からいっぽも踏み出せず、自分が誰だかも分からない苦悩とその自己の内省が記されている。そのノートには失意と絶望 だけが描かれているのではなく、自分が本来自分であったであろう楓へ歩み寄ろうとする成長の日々が描かれている。そこで楓は理想とされるような、かえでが想像するような自分でいなければいけない、そんな期待から来るプレッシャーのようなものを感じていたのではないかと思う。 実際に明示的にこのようなシーンが描かれている訳ではないのですが。まぁ、情報を基にこんな想像が出来るならいいか。とにもかくにも、今回の映画は「楓」と「かえで」の狭間で生まれた葛藤と自分で生きていく覚悟と周囲の支援が主題となって話が展開されていたと思う。あと、会話中の 青ブタ節はやはり私の好物であり今回も遺憾なくそれが発揮されていて面白かったです。やっぱり青ブタは「音」がいいんですよね。