全然ブログ更新出来ていないという焦りをネタにしてブログを投稿するのはよろしくない 12/14
昨今の長いタイトルのライトノベルを彷彿とさせる表題から始まる本日のブログは、文字通りブログ全然更新できていないよねと言う話である。忙しかったのかと問われると全くもって忙しくなかった。 端的に言えば存在を忘れていたということになる。メモを取ってもメモを取ったエピソード記憶は忘却されないというのが私の唯一の頼りだったのだが、備忘録さえも記憶の奥底で眠る。みなそこでねむれ。 忙しくなかったかと問われると特段忙しいわけでは無いがやることは無くはないという程度で、ブログを毎日投稿することが出来ない訳でもないぐらいである。私は中身の無いことであればいくらでも出力 出来る人間なので、今の様にスカスカのこし餡パンなら一定ペースで生み出せる自信はある。特に意味の無い些末な書き散らしが故に、表現技法という物が利用されて、いかに餡子がぎっしり詰まっている様に見せるか という技量が試される。インパクトに満ちたエピソードの持ち主に語りの才は要らない。雄弁さは寧ろその素朴さを損なわせるだけである。私の様に経験に乏しい人間には言葉が無くてはとても虚しい人生を 送っているようで悲しいだけである。エピソードを希求するも足は一歩も外に向かわない所が私が私である所以だ。秋も終わりを告げ、冬の到来を感じさせる朝の起床時の恋しい布団。と言いたいところだが 暖冬にて断頭台の上のカササギであるように、結構冬というには暖かすぎる空気感に包まれている今日この頃。
活字に触れる機会が減っている
毎度、最近全然本読んでないなと思い、徐に小説を引っ張り出して読み始めるのだが、やはり読書は楽しいと気づく。無くても困りはしないが有れば満足感がある嬉しい存在であると痛感する。最近は 都合上技術書を読まねばならない事があったのですが、Kindleを利用して読みましたね。書籍の本質は情報であると犇々感じる体験であった。特に技術書は情報量の多さから紙媒体では六法全書の如き 重量感である。本はやはり紙に限るという古老マインドの持ち主である私だが、知識や教養本は電子書籍でも良いかもしれぬなと思い始めている。何処か出かける際の待ち時間なんかにさっとポケットから 本を取り出す様に読める電子書籍も魅力的ではありますしね。
Hgameもちょくちょくやっている
何ならHgameを結構やっているせいで小説やる時間を取れていないふしはありますね。Hgameの魅力は人間に対するライターの洞察を垣間見える所だと思っている。Hgame、強いてはノベルゲータイプのもの は基本的に会話文をベースに物語が展開される。小説やアニメとは異なり、地の文やアニメーションといった表現ではなく、会話が中心に進む。ライトノベルは結構会話が主に描かれる作品が多い印象であるが、 ノベルゲータイプの作品はその傾向が顕著である。恋愛模様等心理描写がキーとなるジャンルであるだけに関係性の構築という観点では眼を見張るものがある。批評家気取りではないのですが、Hgameをプレイしていると そういう印象を抱くことが多い、最近はサクラノ詩という作品をプレイしているのだが、テーマは芸術であるにもかかわらず、人間の醜い部分が時折顔を出す。というよりもライターがそういった描写が上手いだけなのかもしれないが 特にコミュニケーションや人間同士の関わり合いといった点で鋭いフレーズや自分自身の置かれている環境と対比して考えさせられるような場面に遭遇することが多々ある。特に異世界や非現実と言った飛び道具が 用意されていない作品では、人生で経験する要所ごとのイベントにおける人間の振舞を垣間見ることが出来る、出会いと別れのノスタルジックが感動と共に味わえるKeyのSummer Pocketsがその好例で、自分は あんまりビジュアルノベルを多くの本数遊んでいる訳では無いが、媒体における特徴としてノベルゲーというジャンルが結構好きだなと感じる今日この頃。
映画も観ましたね
魅力的な年上のお姉さんってどのような特徴があるのだろう。いきなり冒頭に問を投げかけてみる。前にこのような疑問を抱くことがあった。結構色々考えたが魅力的な年上のお姉さん像に共通する特徴は、 人間に対する深い洞察眼を有している。それでいて、若い頃は人間関係に苦労して、美貌を持て余してそれなりの年齢である一家言の塊みたいな存在であると考えた。二次元コンテンツにおけるお姉さん像を 色々模索して、その例を探した所、自分の知っている限りでは、俺ガイルの平塚先生、グリザイアの果実の日下部朝子、風見姉とかが挙がった。アマガミの高橋先生も個人的に魅力的ですね。てな感じで、 自分の中にあるイメージ像としてのキャラクターを描くためには、人間にまつわるあらゆることに対して深い洞察を有した一固体を描けないといけないと思い、どうすれば人間に対する観察眼を磨けるか 考えた結果として辿り着いたのが実写映画・ドラマを観てみるのはどうだろうかという感じである。そう思った当日の深夜に、何となく是枝裕和監督の『空気人形』という作品を観た。
漫画も映画も普段、全然触れない人間なので、絵で魅せるコンテンツに実はあまり触れてないのは人生の損失な気もしている。実家に一冊も漫画が無い、1人のオタクが何故発現したのか全くもって不思議な 家庭であるが、故にというか漫画は全然触れてこなかった。そもそも漫画を読むという習慣が無かったし、漫画が面白いものなのかもいまだにあまり知らない。見えている世界を自分から狭めるのは良くない。