メモについての論考+ 7/22

自己嫌悪+後悔で溜め込んだごめんねを吐き出すには程遠い

最近はOverleafというLaTeXのオンラインエディタを利用しメモを取っている。メモの取り方は時間を経るごとに洗練されている気がする。最初は構造化されていない単なる文章形式の文字列で振り返り後から見返す事を想定されていないメモだったが割と最近は数は多くないが見返す事が増えている。これが記憶力の低下に伴う現象であれば悲観的に解釈すべきだが振り返るべきメモがあるという意識が生まれている時点でメモとしての存在価値を発揮していると私は考える。成長の兆しが見える今日この頃であるがあくまで相対的な成長であり到達点に達したとは言い難い。常に自己反省的な態度で批判的に自分の行いに対するフィードバックを与え改善を継続して行う。特に最近ではメモにおける場所の重要性というか得た情報をジャンルや性質によって独立させて混在させない事がより洗練されたメモに必要であると実感するようになった。知識は分野横断的に有機的に交じり合う学際的態度が昨今の標語として掲げられがちであるが各知識のストレージを混在させる意味は乏しくあくまで脳の情報処理部分でそれらをミックスアップして有益なアイデアを生み出せばいいという訳であります。

グループワークという対人関係に乏しい自分の様な人間に対して優しい自動マッチング機構を有した授業形態において話し合いとは何を意味するのか。過去に先達はあの場では個人で完結するタスクを持ち込むべきではなく複数人で行うことでしか得られない事を行うべきだという至極当たり前だが忘れがちな原則を私たちに教えてくれた。そもそも個人で持ち込むべき仕事の成果物が得られていない状況下における話し合いが非生産的で無であれば良いことに人の可処分時間を吸収する危険性さえ持ち合わせるという。そういった状況下で人は退散や撤退という選択肢を取り不利益を最小限に抑えるための損切りという一見して非効率的な決断を許容できるだろうか。

読書傾向は人による。音楽のプレイリストの構成も人による。「やがて君になる」で主人公の小糸侑の実家は書店を営んでいる。そのため侑もお手伝いとして会計の場にいるという事が多い。そこで知り合いがどのような本を普段から買っていくのかある程度傾向が掴めてくるという。確かに人には初期条件というか環境がもたらすダイバージェンスを有する。そのため佐伯先輩は新書や評論系の書籍を買うという彼女の風貌や信条からそれらしさを私たちが感じる事が出来る。こよみが文芸雑誌を定期購読している描写も一定の解像度をリアリティを以てして提供する事になる。カテゴリーから来るそれらしさはやはり受け手との共通認識を図るために必要なのだと考える。