細胞は一新されました 9/5

夏休みで暇なので文章を書いたりする。暇じゃなくても割と文章自体は書くのだが、最近は日報で外部に公開する文章を書いているので日常について改めて振り返って、ここに記述するということも少なくなっているような気がする。前回の「メモについての論考」が1カ月以上前なので、かなり更新頻度が低いということになる。最近は迷走しつつも色々な情報に触れて自分の中で知識を醸成出来ているような気がする。どのように知識を体系化するか思考の軸的なモノを自分なりに確立できつつあるような気がするので取り敢えずプラトーに達し、何等かの形で停滞が現象してくるまでは今の方法を学習に適用し時間を費やしていくのかなと思います。

工画堂スタジオの「シンフォニック・レイン」のリメイク版をプレイしています。最近だと「恋は双子で割り切れない」とかも観ているので自分的に双子は流行っているということになる。もしかした「フタコイ」とかにも手を出すかもしれない。家族愛的な部分で恋敵を憎めないとか、友愛的な側面で性愛的な関係性と同時に友達同士の関係性も捨てがたくみたいな割り切れなさを内在した作品というのは大概、自分の中では一定の面白さを有しているという経験則がある。具体的な例を挙げるならば「White Album」とか「俺ガイル」とかがある。そういった割り切れなさを題材とすると繊細なキャラクター同士の心理描写が必要となるので、純粋にライターの力量が必要となり描ききれるならば面白くなるというだけの話かもしれないが、そういった単純明快さよりも粘性が高い作品が増えると自分としても嬉しかったりする。「White Album」は主人公が複数の女性に対して関係性を持とうとするという点で人間的な側面で嫌われ作品自体に低評価を下す人が多いように見受けられるが自分は主人公の藤井は寧ろ人間らしさを保っていてリアルな感じがして好きだった。後、サブタイトルが秀逸過ぎてブラウニング詩集を岩波文庫から出ているものを買おうか迷う程であったりする。第13頁「器が傾いてるのに、気付かなかった?水はもう一滴も残ってなかったからね」こんな名文を次回予告で披露されたら流石にビンジウォッチは免れないだろう。第20頁とか22頁のサブタイトルとかも秀逸というか、内容と独立してその言葉ひとつで誰かを魅了することが出来るというのはカッコいいものだとジョジョになる。話が逸れて「シンフォニック・レイン」という単語がワーキング・メモリーが抜け落ちたタイミングなので戻すと、雨の街、ピオーヴァが舞台で主人公は音楽学院でフォルテ―ル科に所属しており、その楽器は当人の魔力量的な才能により音色が変わるという不思議な代物で、主人公自身は一応努力をしているが才能により楽器の巧拙が決まるという所から音楽に対してどこか斜に構えた態度を取っている部分もある。彼には遠く離れた街に彼女がいて、双子の妹トルティニタだけが親元を離れ学院で声楽を専攻しているという具合。多分、今はセイバー・トルタ√で、彼は離れて暮らす手紙だけでやり取りをする姉のアリエッタに隠れて彼女と懇意に接するということにどこか疚しさを隠しきれいないといった様子である。物理的な距離と精神的な距離が複雑に絡み合い見たくなくても彼女の内面的な部分を知ってしまう主人公のクリスは中々辛い立場なんじゃないかと感情移入したりもする。他にも生徒会長だったファルシータさんとかも登場するけど目のハイライトが消えていて霧の中から急に現れるような捉えどころのなさが雨の街と相まって若干ホラーな感じを醸し出しているけれど、実際彼女にはどんな過去や心を抱えているのか気になっている。クリスのアパートで居候をしてる彼以外からは誰にも姿を観測されず、触れられることもない謎の妖精フォーニについても気になる所ではある。多分、トルタのお婆さんと明示的に描かれている訳ではないがコンタクトをとれている様子を見るに死者の使い的な側面も含み持ったキャラクターなのでは無いかと適当に考察を落としておく。音ゲーのパートについては結構難しい。レビューを見ても音ゲーパートに関しては賛否両論な様子で自分的には全然苦にならないし、岡崎律子の遺した音たちに触れることが出来て寧ろ好印象というのが忌憚ない率直な意見である。自分もゲーム性のある作品を生み出したいと思うことがあるのだが、シナリオ部分とゲーム部分をどのように調和ささせれば相互にいい影響を与えながら物語が進んでいくのか非常に塩梅が難しいなと思ったりする。