読書と労働と進学と 9/29
最近は頻繁に本を読み湯水のようにお金を溶かしている訳だが、読んだ後に余韻に浸れど何か深くその作品について考える事は少ない。以前の自分は洞察眼を光らせ深い考察を以てして本と対峙するスタイルを取っていたのだが、深く考えることは多読を生まない。情報の海に溺れながら深く考えることは出来ないが代わりに上手く泳ぐ術を身に着け後から改まって考えるということを促進する。現に今の自分は浅い読み方は何も生まないのではないかと懐疑的な眼を光らせている。こうして次は深い読みへ誘われていき読書量が担保できずにいくら深く考えようとこの世界に埋没した情報量に目を背けて学問へ立ち入ることは出来ないという多読と熟考のジレンマに板挟みとなり上手く塩梅の取れた己のスタイルを確立していく。大学生として新人だった時分は、膨大な時間を浪費する人生のオアシス期の意義を考え読書の世界に入る決断をした。これは改めて考えると英断であり1年の頃に内容を深く理解せずとも量を担保する読みに徹して書籍を読み切るだけの体力と選定のセンスを磨いた点において重要な自分史の一幕であったと思う。そして多読が深い思考を表面上は促進しないと考えていた自分は、特に学問分野に関連する領域の書籍に関する読みを改めアウトプットしながら知識を定着させるスタンスで読書中に意識を払うというよりも読後のメモに力を入れた。丁度、多読が定常期に入った頃には新書や講談社が科学をポケットにという標語に掲げたブルーバックスというレーベルの本にハマり複数冊読み耽った訳だが断片的な話題先行の書籍において自分は時間に伴い上手く忘却し記憶の深層に追いやられ勉強している意味がないのではという至極当然の疑問に直面し読後にメモを残すことで記憶の定着を図ろうとする訳だが、これは多分そこまで上手くいかなかった。学問には体系があり、体系があることにより学者達が共通の言語で思索や理論構築を行うことができ更なる説明力を有した統一的な理論が形成されていくのである。この体系という観点を欠いて学問に取り組むと相当な苦戦を強いられることになると大学3年前期で気づいて徐々に教科書がなぜ重要かという基本的で高校生ぐらいで普通は気づくポイントにやっと到達した。今も無批判に参考書を暗記し背後にある理論への志向が薄い受験期を過ごしたことに一抹の後悔の念を禁じ得ない。学問に年齢は関係無いという言説があるが若い段階で学び方自体に影響を与える画期的な視点に出会えるか否かは生涯において大きな差異を生み出すと経験からもそう思う。色々な人間と出会い話し合う機会があれば年齢的な差は大きくないにも関わらず洞察眼の磨き具合に大きな違いが生まれていることに疑問を抱く機会はないだろうか。同年代で活躍している人間を目にすると何を食べれば同じ年でこのような思考に至るのかと。特に文筆業で若い段階で功績や実績をあげた作家の経歴を見ると生き方の違いに何が隠されているのだろうと不思議に感じることもあった。最近は秘密のベールが剝がされたのか人間はそうそう時間のうちで色々な事は同時には出来ないのだと諦念から生まれた気づきを得て、業界で活躍する人間を見ても読書量が常軌を逸していただけだろとか幼少期に触れた書籍の影響が人生観に大きく表れているだけだろうとか推測できるようになってしまった。要するに認識的な転換が因果関係を説明不可能にする天才という存在を消したことに他ならない。成功できない人間は、成功者の積み上げてきた努力を想像出来ないから失敗する。という旨の台詞を誰かが言っていたが覆い隠された因果のベールは経験や知識により容易に剥がされ明らかにされるものであり知的好奇心に突き動かされ謎を追い求める人間は次第に世の中には謎というものは実はそこまで多くは無いと気づき広い視野で感知し得ない次なる小松未歩を探しに行くのである。話は逸れたが学問に於ける体系という観点を手にし書籍に深く対峙するスタイルを身に着けた訳だが、ここで世界が深すぎて全てを学ぶことが到底出来ない学問的ニヒリズムに陥った。「心の哲学」という哲学の一分野を先程の体系という観点から知識を再構築していく知的な作業に没頭する中で今まで読み飛ばしていた一冊の本が読了出来ない事態に直面する。今までの深い思索に囚われない時間的に自由な読みから足に重たい枷をつけて引き摺りながらの読書は少しのストレスが伴い知的探求心を生業とする人間にとっては知りたいことは在れど海より深い深層に眠る真理への到達には犠牲が免れないという事実に気付き始める。それが広く学ぶ欲求と深く学びたいという欲求のジレンマを生み両方を選ぶことの不可能さから一種のニヒリズムに罹り一晩寝込む事となる。勿論、次の日にはケロっといざ進む訳だが、この事実に気付くと人生の有限さという今まで深く考えもしない重要な観点に目を向けさせられる。そして今現在は深さと広さを両立させるバランス感覚を探っている段階である。今現在の学ぶ姿勢には以前の自分が修正を加えたように更なる洗練された手法でより良い学びを模索していくことになるだろうが今は使える時間の有限さを自覚し読書量を増やし、掲げた人生哲学に合致する本格的に学びたいと欲する分野を深堀するスタイルを取っている。最近では過去に講義を沢山とって頑張ってくれたお陰で講義に出席せずに研究室で論文を読むか家で本を読むかすれば良い人生の夏休みの中にあるマトリョーシカ的夏休みを満喫している。読書量が増加するに伴い書籍に費やす金額が増えバイトを余儀なくされているのだが、賃金労働について一考したいと思う。小説を読むと色々な世界を覗けるため現実世界におけるバイトから見た職場という環境への欲求は賃金以上にバイトという経験を積みたいと思わせるのだが純然たる賃金労働としてのバイトにはあまり価値はないのではと思う。最近は大学生は借金をするべきというラディカルな考えも頭を過ぎる。借金はギャンブル愛好家のイメージから負の側面が印象深いが、借りるという行為に目を向けるべきだろう。まず、人生において金の価値は年齢に相対的で若いほど価値が高いと今の自分は考えている。就職後、定職に就くことで安定した暮らしを営むことが可能でも労働時間が普段の生活の大半を占める中で時間の掛かる精神的な豊かさを生み出す趣味や読書のような行為にお金を費やすことが難しくなる。そのため最近では数年働いた後に人生に風穴を開けて夏休みを疑似的に作る人も増えているだろう。若い頃は経済的に自立するのが難しいため時間があれど使える金に乏しいために自身の時間を資本家に授けることでアルバイトに興じるのである。そして、時間が溢れる大学生は相当に貴重な膨大な何の責任も負わずに済む今をお金に還元するのだ。要するに大学生は借金してもギャンブルのように肥大化する病理的な消費に興じるのでなければ時間を無為に消費することを避けるために金を誰かから借りるのは決して悪いことではないということだ。高利貸しで人生破滅し極悪令嬢に転生するのはよろしくないので親の革靴を土下座して舐めてお金を貸して貰うか祖父母にオレオレ申告してお金を頂くなどモラルを度外視してみるのも悪くないかもしれない。多分、自分に子供は出来ず末代までの恥を未然に食い止めることになるが、仮に自分の遺伝子が未来にコードされるならば高校、大学に通う娘・息子には全力でお金を使えるように融通すると思う。人生経験としてのバイトは勧めるだろうが賃金労働に堕することには批判的になれとウザいアドバイスをするだろう。
大学院進学が割と自然な流れって教育の力って凄いよな。前世の記憶を辿ると大学進学は富裕層に限られてましたけどね。へ?
大学院進学への誘い。今現在B3で研究室配属も無事に済んでブラック研究室での輝かしい暮らしが始まる訳だが学科の半数程度が進学を希望する環境で大学院進学という選択は何ら不思議ではないのだが不肖の私は真面目に学校に通いろく勉強していなかったので成績的に相当落ちこぼれフルーツタルトなのだ。勿論のごとく下から数えた方が省エネで推薦で楽に進学が望める展開はバリケードで封鎖されている。要するに大学院入試を受験し合格する必要がある。それに加えて自分は家系的に周りに大学院進学者が全くおらず肯定的に自分の将来の選択を受け取ってもらうにはそれなりの判断材料を提示する必要があるのだが口頭での説明のみで非常に説得力に欠ける。正直、研究者として活躍できる資質を備えているとは思わないので消極的な就職活動からの逃避(モラトリアムの永続化に向けた虚しい抵抗)としての側面が否めないのでより進学に対する親の了承を得難い。勿論、専門分野を大学という教育機関で経験できる価値は大きく学マス(学位はマスター)になるメリットも大きいだろう。博士課程は地雷で検索ボックスに単語を入れると確実にセットで人生終了という文字が付いてくる物騒さだが、博士課程在学中の先輩は留年を経て自分のペースで研究を進めていて成果に固執しすぎていない態度を有しており結構ポジティブな印象も持っている。博士課程前期・後期に想いを馳せる前にまず大学院入試と卒業論文を何とかする方が先決なのだが人間は愚かなので先の事ばかり考えて足元の重要な事柄からは眼を背けしまうものなのだ。