情報リソースについて 10/28(2025)

 久しぶりにラジオを聴きたくなった。中学生の頃、アニラジをよく聴いていた。デュララジとかノゲラジみたいなヒロインのキャストと主人公のキャストを務める男女が互いのぎこちない関係を手探りしながら結構内容そっちのけで喋るタイプの番組が好きで聴いていた。

 「うたわれるものらじお」を聴いていた。経緯は主演のハクオロ役を務める小山力也さんの声を聴きたかったからだ。最近「Fate/stay night(DEEN版)」を見返して、やっぱり衛宮切嗣は小山さんにしか無理だよなと思うぐらい、あの声が馴染んでいた。話は脱線するが声に滲む人間性ってのは本当にあるのだろうか?だとしたら、声優という演じる行為自体が不可能になる気さえするのだが。以前に「スキップとローファー」の岩倉美津未役を務めた黒沢ともよさんがインタビューで、声優が増加傾向にあることを、制作陣にとって作品にとって選択肢が多いことであり、色んな役を演じたい気持ちはあるが、あくまでナチュラルに演じてそれが求められるテイストに合ったからキャスティングされたというスタンスで臨んでいるという話を聞いてなるほどと思ったことを思いだした。

 話が二転三転し、大きな雪玉は壁にぶつかり話題ごと消し去るというのが僕のブログの常ですが、人間が放つ「声」に対し興味が湧いて「ラジオ」へ繋がったという訳ですね。

 そういえばラジオってどこで聴いていたっけと思い、YouTubeで公式チャンネルが投稿しているアニラジとかを探しに行ったのですが、どうも上手く見つからない。ということで天下の宝刀、検索エンジンで「アニラジ まとめ」などと入力し、ヒットしたのが「アニラジ情報館(aniradi-info.net)」

 最近は、こういうまとめサイトすら閲覧する機会がなくなっている。そもそもまとめサイトって今どき流行っているのだろうか。今をときめく若者たちが検索エンジンで「まとめサイト」と検索していたらギャップで萌えるまである。

 最近の検索エンジンはどうもパーソナライズが過ぎるようで、表面に現れる情報がまるで世界のように感じられるから恐怖である。TwitterやInstagramでは当然のようにアルゴリズムを駆使して個人にパーソナライズされた情報がタイムライン上を駆け巡るわけだが、このフィルタリングされているという事実を知らなかったというユーザーが結構いるようで、自分も自然と盲目的な視野になっていないかと気を付けたいと思った限りである。

 アニラジも悪くないが個人や大学生などニッチな層が内輪ノリでやっているようなラジオも聞いてみたいと思い、YouTubeで「ラジオ」と検索したりするが、当然ながら再生数が2桁レベルの情報はヒットするはずもなくオールナイトニッポンとか有名人のラジオばかりが並ぶ。そもそもアニラジすらヒットしない。

 深層へ潜るべくラジオ配信サイトなどを調べると(stand.fm)というサイトがあるらしく公式サイトへ飛ぶと、洗練されたUIだが雑多なコンテンツが転がりまくっていて、思わずサムズアップ。「ギャルゲー」とか入れて適当に検索してみると10件ぐらいヒットしたので数件聞いてみると普通にタイトルコールがあったりジングルやBGMが用意されていてクオリティが高いラジオばかりであった。この世には面白いコンテンツが沢山あるのに埋もれるだけで発掘されないコンテンツがいっぱいあるのだなと落胆した。僕が聴いたのは「宇宙一ゆる~いラジオ」で大学生3人がパーソナリティを務め順々に適当な内容について10分程度話すタイトル通りゆるい番組だ。ヒットした音声は夏にやりたいギャルゲーについてで、「ぼくのなつやすみ2」をやらねば夏は始まらない。という。そして「キミキス」に「アマガミ」と紹介が続く。

 僕の持論として、面白いコンテンツはたとえ情報過多なインターネッツな時代で電子の海で漂流しようときっと誰かが見つけてくれるというものがある。ただ、デジタルコンテンツ全てにこの話を適用するのはムリがあるのではないかとも思った。小説やゲーム、アニメといったメディアとして伝達経路が強固に確立された形態のコンテンツであれば、マイナーだが面白い作品は必ずといっていいほど掘り起こされるが、個人レベルのラジオや個人のYouTubeみたいなコンテンツはもはや巨大企業に巧妙に隠蔽されて我々から覆い隠されているように思う。

過去は痛みを脱臭し、美しい記憶だけを現在に伝える

 「昔はよかった」というフレーズ、大人になった誰かが「現在」という地点から相対的に「過去」を振り返る際に零れる言葉。宇宙創成を始点と定め「今」を捉えたとき、現代社会が物質的に豊かになったことは議論を俟たない。利便性という観点から10年前や20年前と比較すれば、どれほど生活しやすい状態になったかは理解できる。ただ、それが個人の「幸福」という定量化しにくいフィールドに侵入すると問題になる。僕らは永遠の寿命を持って原始時代から通信網や交通網が高度に発達した現代社会までを生き抜いたわけではない。あくまで先史時代より続くどこかの断片を生きているだけだ。このことを勘案して文明社会が行く末はどうなるのかを考えるべきなのだろう。

無駄を愛す

 「この世に無駄なことなんて何一つない」と主人公は言う。彼に反論することは無駄だと気づいた。

 無駄なことは普通にあるし、排除すべき無駄も多いけれど、無駄と思われる事柄を愛せることに人間の本質がある。