部誌に掲載する小説を執筆する人
某研究会に所属している人です。新入生歓迎会で部誌を発行するらしいのでそこでどうやら小説なりイラストなり評論なりを掲載させてくれるという事で画力も批判力もない私は小説を執筆することにしました。
どんな小説を書いているのか?
それが結構問題で、自分でも何を書いているのか、何を表現しようとしていたのか過去の自分が何処を向いて歩いていたのか見当がつかなくなってしまいました。執筆を始めるに際してプロットという箱に小説が 運ぶ流れを書いていたのですが、実際に自分が書いている小説と見比べてみるとどうも一致しない。小説をどんどん先へ進めるにつれて物語の整合性や主題性を一貫させようという意識がどんどん自分の中で重り になっていつの間にかモニターの前でテキストエディターを眺めるだけで手を動かすことが出来なくなってしまいました。これが所謂スランプというやつかと感じました。でも、スランプと簡単に片づけていい程 単純なものではないとも思いました。
スランプじゃないならなんだよ
多分、小説を書く為のカロリーが指数関数的に上昇していて、其れに際して筆不精のように見えるだけだと思います。こうやってブログを執筆している時は何も考えずに流れるように筆を進めることが可能なのですが、 如何せん執筆中の小説に目を向けてみろというと身体がカロリーを吸われたくないのか防衛本能的に目を背ける様になっています。あまりにも筆が進まずこのままでは一向に締切りに間に合わんと思い。思考の結果 プロットを練り直して見通しをよくするという錯誤に至りました。その結果少しではあったが執筆のスピードが上がりました。これは嬉しい。小説を書き進める事が出来たのはまさに自分が成長しているような感覚で 何とも言えない感じです。
完成させる勇気と覚悟
何かしら創作活動に従事したがある人間なら恐らく誰しもが経験するであろう。未完成ストライド。この世の中に存在するのは完成品だけじゃないんですよと言い訳をこじつけて投げ出した人間を幾度となく自分の眼で見てきた 訳ですが、やはり作品は完成させるべきです。創ろうとした意思がそこには籠っているし、完成させることでしか得られない経験もあると考えている。勿論時間は有限だし、損切りだと考えてコミットしている作品から目を背けて 新しい作品に浮気したくなる気持ちは重々わかる。それでももがくべきである。きっと投げ出したほどの作品ならモチベーションも落ちるし、質もいまいちかもしれないが作品にピリオドを刻むまでは辛抱してみて欲しい。作品を 完成させる難しさを知ることが出来れば次の作品を創るときにはあんな想いもう二度としたくねぇと前回の反省が活かされて次が光るものです。
やはり創作は楽しい
文化祭の時に初めて小説を掲載出来る機会を設けていただいたのですが、その時の経験が思いの他自分の中で残っていて、結構小説書くの楽しいかもしれないという初めての感情を知りました。(花の塔的な)それまで自分にはこれといって 趣味とか没頭できるようなことがなかったのですがこの経験を機に結構創作に時間を費やす様になりました。最近はノベルゲームなんかを自分で作ってみようかなんて考えています。ノベルゲームは小規模での開発が比較的簡単で個人で作品を 世に出している人なんてのもいるらしいです。とはいってもシナリオ、イラスト、背景、BGM、スクリプトなどなど様々な要素が複合的に交差しているのがノベルゲームの本質ですから多分一筋縄ではいかないのだろうとは思っていますが 失敗してもいいかもと思える自分もいます。
子供の頃は熱中している自分に気づかないくらいに楽しい日々を過ごしていたが、気づけば進学や就職、独り暮らしと自分を忘れる程に自分を謳歌できていなかったのだろうと思います。謳歌って独りでできるものなのか?知らんけど とにもかくにも、何かに熱中して時を忘れる事が出来るのは才能だと考えている。オタクは才能であるとよく思うのですが、一つの事に熱中できる姿勢を持ったそんなオタクは僕にとっての憧れの的だったが今となっては私も一端のオタク になれたかもしれないと思うとなんだか嬉しい気分である。大学生活の膨大な時間の中で様々な刺激に触れることで自己の興味を覚醒させる事が出来ている今に感謝の言葉を以てしてこの記事を締めたいと思う。ありがとう